曳家岡本 関東で10年目
謹賀新年
とうとう2020年です。
自分たちは「2001年宇宙の旅」の時を遥かに越えて、
初公開時には、使い古した汚れの目立つ宇宙船のリアリティにわくわくした「STAR WARS」もとうとう完結を迎えた「未来」に生きています。
思わず、スゲーです。
さて、2020年。
自分はとうとう還暦になります。
27歳で親方になって、今や全国展開している曳家で「現場に出ている」親方としては最早、最高齢という声も聞こえます。
そして2020年は、曳家岡本は上京して10年目を迎えます。
10年と云えば長く感じますが・・・人間で云えば、まだまだ小学4年生。
やっと上級生になるところです。
謙虚に一生懸命、頑張ってゆくのみです。
そうそう。還暦を迎えるからか?
夏頃から、急激に「他人を羨ましく思う気持ち」が失せました。
歳のせいなのか?
自分の限界を悟ったのか?
「靴ひもを結ぶ時は靴ひものことだけを考えろ」では無いですが、
かなり自然体で自分の出来ることを追いかける気持ちのみになりました。
2019年を振り返ると、どの現場も、満足できる出来でした。
特に5月から始めた徳島県での豪商の古民家修復工事では、10名以上の大工棟梁の皆さんに応援に来ていただいて充実の作業が出来ました。
もう1度、御礼を申し上げます。ありがとうございました!
しかし2019年は経営や私事では色々と苦しいことが続きました。
仕事面では、資材のやりくりから年頭 大きな現場を2棟無くしました。
その後の現場の切れた3か月間は本当に辛くて情けない日々でした。
そして、4月からは徳島と奈良の現場が被るため、現場を逃がさないために200万円以上の資材を購入しました。
※廃業された同業者から購入したものも多くて、新品だと1000万円を越える増量です
仕事を切らしていた直後の投資ですから、これは本当にたいへんでした。
毎月、支払い出来る残高を見比べては冷汗を掻いていました。
さらに、2019年の痛恨の出来ごとは、友人Yのアルコール中毒による死去でした。
Yが退院してから、再び弊社の手伝いに復職してもらった時には、自分でも経営者をしていた彼に現場作業だけでなく、移動先の宿舎の手配や「総務」のような仕事を分担してもらえるようなると喜んだものでした。
本人も「曳家岡本で未来を掴みます」を云ってくれていたのですが・・
不慣れな肉体労働とはいえ、常軌を逸した不出来に自分も堅田工務部長も指導することに疲れ果てていました。
そして、奈良の現場の一時撤退前に、Yが隠れて大量の飲酒を続けていたことが判って、その時の裏切られた気持ちの強さは上手く伝えられませんが。
何度も「酒飲んでないよな?」と確認するたびに「大丈夫ですよ。自分へのご褒美としてほんの1本だけ」と言っていたのですが。
500mlのビールを5本+ウイスキーを飲んでいたことが判った時に。
「お前こんなことしてたら死ぬよ。酒辞めろよ」と3人で厳しく指導したんですが。
一旦高知に帰省してから連絡が取れなくなり。その後、人伝手でYが四万十町の海産物屋に就職をしている。と聞いて、
まあ、働けるくらいに落ち着いたのなら良いけど・・それならそれで電話の1本でも入れろよな。と腹をたててました。
それでも12月2日に、Yから電話があって、謝罪をして「もう1度、チャンスをください」と大泣きしていました。
しかし自分も経営者ですから、彼を今、再雇用することは出来ないと話しました。
13日まで高知にいるので、それまでに1度逢って残務の引き継ぎなどをしようと話ししていたんですが。
東京へ向かう道中で共通の友人からメールが来て、彼が血を吐いて死んだことを知りました。
遅い参加だから建築の本も読んで勉強しろ。と貸してやっても、全く読まないくせに「いや~~岡本さん。やっぱり、村上 龍おもしろいですね~」「みうらじゅんみたいに生きてゆきたいですよね」と笑っていたYは、いなくなりました。
しかしYのことは赦せません!一生憶えておきます。
東京国際フォーラムCで上演されていたミュージカル「サタデーナイトフィーバー」を観てきました。
「サタデーナイトフィーバー」と云えば、高校を卒業して、家業の曳家を始めた直後に見た映画。
土方恥ずかしい~~と地下足袋履いているのをかつての同級生に見られるのが嫌で現場で履き替えていた頃に「なんだ!ペンキ屋の兄ちゃんでもカッコよくなれるんだ」と物凄く影響されて・・
昼間は曳家、夜はディスコで働く、きっかけになった映画でした。
で~~。昼夜働いていたお蔭で少し貯金もありましたので、そのディスコで知り合ったお客さん相手に、高知初のロンドンロックファッションの店「100CLUB」を始めるんですが・・
当時はバブルですから、一等地でのオープンなど出来るわけも無く、駅近ではあるものの三等地での営業です。
そこで商品を買う以外の、来店目的を創ろうと、当時の四国の大手プロモーターDUKEさんが招聘しないようなロックバンドを招聘して、そのチケットの良い席を自分の店で販売することを考えます。
スターリン、戸川 純、ゼルダ、BOOWYから始まって町田町蔵(現・作家の町田 康)、ECHOES(現・作家の辻 仁成がヴォーカル)や、もちろん大好きだったROOSTERSや THE MODS、ARB、その後はPERSONZや筋肉少女帯、ブルーハーツ、ちわきまゆみ、GO-BANGS(森若さんのステージとオフの切り替えの凄さには刺激をいただきました)J-WALKと守備範囲も広げてコンサートを四国島内で主宰してました。
特に、たまのメンバーとは親しくしてもらって。道路拡幅に伴う曳家の補償算定方法が変わって、曳家の仕事が激減して、どうしようか?と悩んでいた時に、全国ツアーのマネージャーを熱心に誘って頂き2年間、パートでマネージャーをさせて貰いました。
一番、最後の頃に手伝わせていただたバンドは、eastern youth(イースタンユース)だったんですが。
もし自分が一番勢いがあった90年代初期に出逢えていたならば、もっと売ることを応援出来ただろうに。素晴らしくカッコいいバンドなのに。と悔しかったです。
彼らに、DUKEさんから声がかかったと当時のマネージャーさんからご連絡いただいた時に「今のうちで手伝わせてもらうより、DUKEさんに行かれて、メジャーなアーティストさんと一緒に会報に掲載されて、出来ればモンスターバッシュにも出演させてもらうことがバンドのためですから、ぜひ行ってください」とやせ我慢して送り出して。
今度は生計のために音響や特殊効果(銀打ちや低温花火)をしつつ。
やなせたかし先生に気に入っていただいて、先生が故郷、高知でコンサートや「米寿を祝う会」をされる際の制作、台本(先生が書かれたオリジナルにSEや特効などの指定を書きこむ)などで舞台監督まがいのことをさせていただいたりもしてました。
やなせ先生に本番前にステージ袖に呼んでいただいて「今日は裏方のみなさんは20人くらでしょ。これね。領収書とかいらないから帰りにお茶でも飲んでくださいね」と、祝儀袋にアンパンマンのイラストを手書きしてくださりお配りいただいたことは本当に感謝です。
www.youtube.com/watch?v=_qo2edmE_Uo
↑これ、特殊効果から電飾人力車の制作まで担当させていただきました。
そんなわけで、還暦記念にざっくりと2019年と過去を振り返ってみたんですが・・
娘の学費を稼ぐために、もうしばらくは引退出来ません。
若い時のような瞬発力は無くなりましたが、
コンサートでの搬入搬出の仕切りで鍛えた「段取り力」は、消えません。
バンドが売れてくると大きなホールでのコンサートになりますが、11トン車 3台にぎっしり積まれた音響機材や照明、舞台セットを舞台監督の下でアルバイト40名ほどを率いて僅か90分で搬入して、終演後には今度は70分で積み込み。
同時進行で楽屋のケータリングのセット~ばらしを行います。
だらだらとどんぶり勘定で資材を持ちこみ、無駄に余らす建築現場もありますが、
エッジの効いた現場をやってゆきます!
2020年もよろしく御願いいたします。
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