(たぶん)現役最高齢の曳家職人

最近では、めっきり見かけることの少なくなった「曳家」
「曳家」とは既存の建物を移動させたり、地震や地盤沈下の際にジャッキアップして水平を直す建築職人のこと。
今では全国に120業者程度、専業となると僅かに10社程度となる稀少職種です。


岡本直也さん(有限会社 曳家岡本 代表取締役)は、今月、還暦を迎えた。
全国区で活動している曳家業で、現場に出ている職人としては最高齢と言われている。

「自分が27歳の時に、先代が心筋梗塞で倒れて、そのままスライドして親方になりました。たぶん全国で一番若い親方だったと思います」
しかし若い親方に大切な家の修復を依頼してくれる方は激減し。
往時は25人を従えていた「曳家岡本」は存続の危機に瀕する。
「若いんで、一緒に働いてくれる仲間も若いですから。体力勝負をして、価格競争を選びました」
高知県では40年前には人口30万の高知市は、曳家が13業者もひしめく「曳家戦国地区」だったためでした。
「昭和 南海大地震がありましたし、道路の拡幅工事の為もあって高知県には曳家の需要が多かったんですよね」
しかし時代と伴に、曳家は衰退してゆく。
後継者のいない近隣の曳家業者からの依頼の孫請け工事をしながら、岡本さんは、
「このまま高知県には曳家がいなくなるなんだろうか」と心配をしていた、
そんな中、地元「高知新聞」が「去りゆく技」として大きく取材記事が掲載された。
本人は、これで受注のきっかけになればと喜んだが、子どもが通う幼稚園では父兄から「岡本さんちはたいへんね」と言われるようなり家族は苦しんだ。
生活の為に高速道路の入線工事や、トンネルの照明器具の取り換えなどに作業員として入りながらも。
「父が遺した工具類を処分するのが辛くて」
苦労しながら倉庫代を捻出、なんとか家業を継続させていた。
その後、曳家業との両立から、音響や特殊効果の仕事も手掛けていたという。
「催事の仕事は土日に集中しますから、現場との両立が簡単でしたからね」
しかし、そんな岡本さんに転機が訪れたのは、2011年3月の東日本大震災だ。
「これはたいへんなことになった。もしかしたら、手が回らない業者が手伝いを探しているかも知れない」と、「手伝いにゆきます」とホームページに掲載した。
そこに液状化被害で9000棟の住宅が傾いた浦安市の松崎秀樹市長(当時)から、電話が届いた。
(以下続きは「曳家が語る 沈下修正ホントの話」を参照ください)

と云うわけで(笑)
還暦になりました。頭の中は西城秀樹さんの「ヒデキ!カンレキ!」という名言がぐるぐる回っております。
あよ。~~あ~~。
最年少だったのに、最年長になってしまいましたよ。
もうちょっと若かったら、あんなことやこんなこともしたいなーと思いつつも。
ここからは「ベスト・キッド」のミヤギ先生みたいに、堅田さんの手伝いに回って、渋いバイプレーヤーにならねばな。

先日、亡くなったショーン・コネリーは「アンタッチャブル」で脇役に回ることをかなり嫌がったそうですが、エージェントに説得されて出演して見事、第一線に返り咲きましたよね。あのまま主役の座にこだわっていたら、ふんどし姿で森の中で虫に食われながら走り廻るB級SF映画にしか出演できなくなってましたよね。
最年長だけど、いつでも「降りる」「降りて次の人生へゆく」覚悟をもって、もう少しだけやってみます。
本当に今まで続けられてきたことは奇跡です。
全ての関係してくださった方に感謝いたします。
寺崎さん。もう1度、浦安での仕事をやりたいんで、お仕事待ってます(笑)
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