2018年12月19日 8:25

沈下したベランダの固定も完了しました!

イオン高知のそばで施工させていただいておりました、現場も終了いたしました。

こんな風に一番手前の腐っていた柱も、取り換えました。

この柱の位置は荷重があまりかかっていませんでしたので、仮据え付けした後も、4時間ほどかけて大工さんと、あちこち動かしました。

ちなみにどうやって、柱を抜いたか?と云うと残す上部に添え柱を取りつけて、それを両側からサッポードで突いて抜きました。

この時に、添え柱と現状の傷んだ柱がくっついているとノコギリが入りませんから、添え柱との間に45mm厚の木材を挟み込みました。軽いから出来た細工です。

柱の足元はオリジナルと同様に、羽子板ボルトを取りつけるようにしました。柱の下は12cmほど隙間がありますが・・これは、こんなにも揚げたわけでは無くて腐っていた部分を切り落としたゆえです。

そして柱の荷重そのものは、芯材として、オーストラリア檜(サイプレス)を入れます。そして、アンカーボルト代わりの羽子板ボルトを固定するためにパネコートで箱を造ります。工務店さんから「見た目は後でこちらで直すんで岡本さんは強度のことを優先してください」と言っていただいてますので、少し大きめ目にコンクリートを打ちます。

打ったコンクリートを、ギュウギュウ、押し込みます。これ上の画像と併せて見ていただくと判るんですが・・左官さんと違って私どもはきれいに化粧することは出来ませんが、パネコートの廻りに楔などを打ちこんで固定してからコンクリートを打ちます。上に組んだH網や母屋の基礎の立ちあがりなどから反力を獲ります。こういう細工は曳家ならではと思います(笑)

完成です。

ですが・・ここに至るまで、一番奥の高く揚げて、柱も切り上げた柱の下の下地のコンクリートが乾かなくて、2日間置いておいたり・・と作業は決してスムースではありませんでした。

でも、OB小松が応援が来てくれる日曜日までにはH網を解体できるようにしておくという段取りがありましたから・・本来であれば後からした方が楽に出来ることも足元の悪い中で無理してやりました。

終りました。

片づけをしていると・・後の作業をするために来られた、伊野町の矢代板金さんと初対面。

なんと!!3年前に、施工させていただいた甲浦八幡宮の家起こし後の銅版工事をしてくださったそうです。

矢代さん「あれは、ものすごい枕木と鉄骨組んでましたねぇ」

小松  「この人、組んでないですから。ほとんど自分ですから(笑)」

小松ってこんなことでしか自慢出来なくて可哀そうです(笑)

土佐町の倉庫で、資材を降ろし始めると小雨が(汗)倉庫の中では、かつお棟梁が、追っかけで継ぎ手細工をしていて、完成するとその上に乗って、「こればあ、乗ってもまあまあ大丈夫ながね」と教えてくれます。

 

お昼になったんで近くで、川田板金のさんが屋根工事をしているんで顔を出そうと行かせてもらったんですが・・敷地内に見たことあるような倉庫が・・ちょうど出て来られたお施主さんと話すと!!やはり25年前に自分が曳家させていただいた倉庫でした!!

今年は坂上の現場が多かったです。

 

 

 

 

 

 

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能登半島地震で住宅被害に遭われた方へ

以下、実務者の立場から書かせていただきます。

  1. 液状化による地盤沈下を直す「沈下修正工事」と地震の横揺れで歪んだ建物を直す「家起こし(軸組補正工事)」は別ものです。

    水平を直すのみの工事と、垂直を直す、もしくは水平を直しながら併せ技で垂直も直してゆく工事です。

    おそらくは新潟県は沈下修正工事のみで可能です。石川県では家起こし、および座屈した柱の取り換えなども必要になると思います。

  2. 工事の着工時期についてですが。皆さま1日も早い修復を望まれていらっしゃいると存じます。しかし、地盤が充分な固さに戻るまでは施工出来ません。

    余震がこのまま収まったとして、おそらくは最低3月頭くらいまでは着工するべきではありません。

  3. にわか業者、悪質ブローカーにご注意ください。

    普段、ご縁が無い業種ですから唯一、判断できる金額のみで選ばれることもあるかとあります。

    家は安心して眠れる場所でなくてはなりません。

    歴史を背負っていない利益だけを考えている方と誠実な工事をされている業者を一緒にしないようしてください。