東日本大震災から10年の気持ち
間もなく、東日本大震災から10年が経ちます。
前回のブログにも書きましたが、もし10年前に浦安市対策本部にご招聘いただかなったら、自分はどんな人生だったんだろう?と自問します。
今、自分はコロナ禍の影響もあって、しばらく現場が切れています。
東京のマンションは娘たちが大学に通学するためにも使ってますので、密を避けて自分は高知県の自宅にいます。
高知県の自宅は2010年12月25日に建て替えしました。その後、震災が起きてすぐに上京しましたので、実はこの10年間で今回がもっとも長く「自宅」で生活しています。
狭小住宅ではありますが、1戸建て3階に一人は、なかなか贅沢ですが。
コロナ禍での、軟禁生活のような状態だと、ついつい色々なことを考えてしまいます。
特に、この10年は「亭主元気で留守が良い」状態ですから。
このまま娘たちが巣立ってしまうと、幼稚園の頃の思い出しか無いまま人生が終わるのかな?と思うとちょっとやるせない気持ちになります。
でも、世の中の多くの方々がたいへんな時に、この技術を継承していた者の努めとして、少しは役に立とうと家族と離れた人生を選びました。
心配してくださる同業大手さまから、土台揚げ沈下修正工事の下請けのお話をいただいてますが。
指名で無い仕事の場合はどうしても価格優先になりますが。
例えば、以前、専門でない方が沈下修正工事をされたお家の再工事の見積もりでは、おそらく専門でない方はアンカーボルトを切断してしまっています。
壁を解体して新たにアンカーボルトを入れ直したいところですが、その重要性を説明できる機会はありません。
この建物は増築部分らしき平屋が大きな母屋に繋がっています。
大地震が起きると、この平屋部分が揺れて母屋まで傷めることになります。
ですので、なるべくそうならないように、アンカーボルトをきちんと再緊結しておきたいのです。
長女に、もし再び大地震が起きたらパパはどうする?と聞かれました。
パパは、お世話になっている千葉県建築士会のみなさんの手伝いとして、住宅修復相談員をさせてもらうつもりだよ。
もし現役時代に大地震が起きるようなことがあったならば、社寺や古民家の石場建てを専門に直すようにしたいな。
2000年の鳥取西部地震で曳家職人の少なさをカバーするために「耐圧板工法」が考えだされてから、20年が過ぎました。
10年前には東日本大震災が起きて、沈下修正工事を手掛ける業者も増えました。
中には、素晴らしい研鑽をされて立派な会社になられた方もいらっしゃいます。
なので、自分のような上部構造のことを気にする曳大工は、社寺・古民家の修復に廻った方が有効活用していただける。と思います。
曳家岡本の冬用ジャンパー出来ました!
堅田さんと、宏くんが、冬でも無理してTシャツを制服のように着てくれているので、ちょっと無理してロックコンサートの物販物を制作しているプロダクションに依頼しました。
コメントを残す